山梨県の伝統工芸品

山梨県の伝統工芸品について

一般的に「伝統工芸品」は、古くから日常生活の用に供され、手工業により製造されるものを指します。中でも、「主として日常生活の用に供されるもの」「その製造過程の主要部分が手工業的」「伝統的な技術又は技法により製造されるもの」「伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの」「一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの」の5つの全ての条件を満たし、経済産業大臣に指定されたものを「伝統的工芸品」と呼びます。
また、山梨県では前述の5つの条件のうち最後の1つ以外の条件を満たす工芸品を「山梨県郷土伝統工芸品」として認定しており、帝京大学やまなし伝統工芸館ではこれらの伝統工芸品を未来に残し、発展させるための取り組みを行っています。

甲州水晶貴石細工

国指定:1976年6月2日
県認定:1994年10月24日

現代に通じる水晶加工技術は、江戸時代の1830年頃に京都の玉造り職人から伝えられたと言われています。金峰山周辺の花崗岩地帯からは水晶が採取でき、この水晶を材料として利用する工芸品はごく自然に誕生しました。水晶貴石細工は水晶などの原石をたがねや小槌でカキ込みし、回転するコマを用いて彫刻されます。すべての作業は手作業で、深肉彫りや浮き出し彫りなどのさまざまな技法が存在します。

甲州印伝

国指定:1987年4月18日
県認定:1994年10月24日

甲州印伝は鹿革を原材料とする工芸品です。日本には数多くの革製品が存在し、紋様付けの方法も様々な方法が存在しますが、山梨で漆置きによる紋様付けが始まった時期(1710年頃)が甲州印伝の始まりとされています。甲州印伝は鹿革を煙で燻すことで黄褐色に染める“燻(ふすべ)”、型紙を用いて漆を乗せる“漆置き”、型紙を用いて顔料で模様付する“更紗”といった技法で模様付され、バッグや財布などに縫製されます。

甲州手彫印章

国指定:2000年7月31日
県認定:1994年10月24日

印章の印材としてはツゲや水牛の角などが一般的ですが、甲州手彫印章では印材のひとつとして水晶が利用されています。山梨県では江戸時代から水晶の加工がなされており、その加工技術を土台として、1861年に水晶印材に篆刻する技術が確立されたと言われています。甲州手彫印章は手彫印章生産量のうち山梨県内で70%、全国で50%の生産量を占めています。

甲州雨畑硯(あめはたすずり)

県認定:1994年10月24日

1690年に鰍沢村の雨宮孫右衛門(あまみやまごうえもん)が身延山参詣の途中に富士川支流早川河原で黒一色の石を拾い、硯にしたのが甲州雨畑硯の始まりと言われています。硯の材料となる硯材は四万十帯の粘板岩や千枚岩で、透水性が低いという特徴が硯づくりに適していました。硯づくりは、まずノミで全体の形を彫り、その後粗さの異なる砥石を用いて表面を磨き、最後に漆で仕上げられます。

甲州大石紬織物

県認定:1994年10月24日

郡内地方は富士山の溶岩に覆われて稲作に適さないため、古くから養蚕が農業収入の主力となってきました。養蚕で売られた繭の屑繭や玉繭等の副産糸から座繰り手引きして紬を織り、大石紬が誕生したと言われています。絹織物でありながら黄色の黄紬であり、他の紬織と異なった風合いを持っている特徴があります。江戸時代の1680年頃から生産が始まり、明治、大正時代に改良が重ねられて現在の大石紬に至っています。

西嶋手漉和紙

県認定:1994年10月24日

1571年に西島生まれの望月清兵衛によって西島手漉和紙の製作が始められました。清兵衛は国主武田信玄の任を受けて現在の静岡県伊豆修善寺で和紙製法の修行を積み、故郷の西島に和紙の製法を広めたと伝えられています。材料には伊豆に多く自生する三椏をはじめ、和紙古紙や稲わらを用い、書道半紙などの平滑で光沢のある毛筆に適した紙が生産されています。
認定時の工芸品名は「西島手漉和紙」でしたが、2023年4月1日より現在の地名に併せて「西嶋手漉和紙」に変更になりました。

甲州武者のぼり・鯉のぼり

県認定:1994年10月24日

戦後時代の武士たちは戦場で自分が率いる隊の目印として旗指物と呼ばれる旗を利用していました。この旗指物は江戸時代になると端午の節句の祝い端として流行し、武者のぼりと呼ばれるようになりました。同じ時代、町人たちは武具である武者のぼりの代わりに鯉のぼりを立てる風習が生まれたと言われています。富士川流域では染物が盛んに行われており、引き継がれた技法によって武者のぼりや鯉のぼりが作られています。

甲州鬼瓦

県認定:1995年1月27日

南アルプス市若草地区は御勅使川扇状地の先端に位置し、瓦造りに適した粒子の細かい粘土が広く採取できました。瓦造りの起源は江戸時代1716年頃で、三河地方(現在の愛知県)から製造技術が伝えられました。江戸時代末の甲府城修築の際に瓦御用をつとめるなど、長い歴史がありますが、平成元年にはすべての工場が閉鎖してしまい、現在では若草瓦会館にてその技術の継承に努められています。

甲州親子だるま

県認定:1995年1月27日

親子だるまの礎となる甲州だるまの歴史は、現在の甲府市城東地域に住んでいた武井八衛門が武田信玄の顔に似せてだるまを作成したことにさかのぼります。1730年代になって5代目八衛門が親子をモチーフとしただるまを考案したことが親子だるまの始まりです。親子だるまは一般的な甲州だるまと異なり白色をしていますが、これは山梨県の農家の生活が、養蚕と綿の出来によって左右されたため、繭の形をイメージして白いだるまになったといわれています。

市川大門手漉和紙

県認定:1995年11月9日

山梨における和紙の歴史は古く、市川大門手漉和紙の起源は平安時代にさかのぼると伝えられています。長年にわたる改良が重ねられ、武田家や徳川家の御用紙を務めながら明治時代まで盛んに製造が行われました。現在では機械漉きが主流となり、手漉きの技術を継承する工場は一社のみとなっています。

山梨貴宝石

県認定:1996年9月6日

国の伝統工芸品として甲州水晶貴石細工が指定されていますが、明治時代になると従来の水晶玉や彫刻などの加工に加え、ネックレスやブローチなどの宝飾品の加工が始まりました。貴石のカットや研磨技法、原料となるメノウの原石を焼いて酸化反応によって色付けする焼き入れなど、宝飾品に関する様々な技術が開発、確立されていきました。

富士勝山スズ竹工芸品

県認定:1998年8月3日

起源は江戸時代初期とされ、文政11年に完成した地誌『甲斐国史』のなかに「箕(ミ)、笊籬(イザル)、魚籃(ビク)」が販売されていたことが記されています。富士山2合目付近に自生するスズ竹を利用して編まれた竹細工です。材料となるスズ竹はしなやかで香りもよく、また細かい目で余れたザルは繊細で強度もよいため実用品としてもインテリアとしても利用されています。

甲州花火

県認定:2023年3月14日

山梨県の花火は戦国時代以来の狼煙(のろし)術・火術と江戸時代の華やかな町衆花火という二つの流れを受け継いでいると言われ、現在では全国各地の花火大会で山梨の花火師たちが活躍しています。代々伝えられて来た伝統技術による手作りの花火玉が夜空に高く打上げられて夏の思い出を彩ります。そのほかにも打上げ花火は神社の祭礼花火、運動会の音花火、昼間のイベントでの七色煙花火、テーマパークでのアトラクションなど身近かな場面で観る人を楽しませ続けています。